鉄砲木ノ頭、「~頭」、金時山のこと

11月下旬の鉄砲木ノ頭

11月下旬の鉄砲木ノ頭

丹沢・鉄砲木ノ頭(てっぽうきのあたま又はかしら)は昔は木材を運ぶため沢の上流に仮堰を造り、水を一気に流す人工的な鉄砲水で木材を下流に運んでいた。そこでその沢のピークを「鉄砲水の頭」と呼んでいた。地図を作るときその「水」と「木」を間違えて「鉄砲木ノ頭」としてしまった。それで今でもその山名で呼ばれている。またこの山は甲相国境尾根にあり神奈川県側の丹沢では「鉄砲木ノ頭」と呼ばれ、山梨県側では「明神山」と呼ばれている。

ところで沢のピークを「~ノ頭」と表されることが多い。これは「あたま」なのか「かしら」なのか?結論としてはどちらも正しい。ただ、本来は山を人体の部位に例えたのだ。例えば山頂から少し下った平らな部分を「肩」という。谷川岳肩ノ小屋とか北岳肩ノ小屋とかがある。まさに山を人体に例えたことが分かる。他に「山の腰:山の中腹と山麓の間」や山裾(山麓)などの言葉もある。だから本来なら「頭」は「あたま」と呼んだのだ。しかし時代が移り、現在では「かしら」と呼ばれることも多くなった。「かしら」は頭領などの意味もあり言葉の響きがよかったからではないか?時代と共に言葉も変化する。だからどちらの呼び方でもよいのだ。

11月下旬の金時山

11月下旬の金時山

箱根・金時山は神奈川県と静岡県の県境にある山である。そして、その山麓で育った金太郎《後の坂田金時で真偽は不明⦆伝説で有名な山である。その山頂に金時茶屋と金太郎茶屋の二つの茶店がある。金時茶屋の金時娘として茶屋を切り盛りするのが1933年(昭和8年)生まれの小宮山妙子さんである。父は新田次郎の直木賞受賞作「強力伝」のモデルとなった。また明仁上皇が皇太子時代の昭和25年に金時山に登られた時に18歳の小宮山妙子さんを「金時娘さん」と呼んだことが愛称の始まりのようだ。金時娘さんは13歳の時から86歳の現在まで73年間も茶店に出ているが、最近は高齢のためその回数も減っているとか。