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東京の山・神奈川の山・関東周辺の山を夫婦で「気ままに山歩き」登山・ハイキング・トレッキングの山行記録です。

三浦半島・三浦富士~砲台山~武山三浦半島・三浦富士~砲台山~武山


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三浦半島・三浦富士~砲台山~武山(200m) 
平成31年(2019)3月27日(水)2名

     

三崎港から三浦海岸へ向かうバスの車窓風景 武山~砲台山~三浦富士

京急長沢~三浦富士~武山~津久井浜のハイキングコースマップ

三浦丘陵は三浦半島を南北に24kmほど連なる丘陵である。北端は円海山(153m:横浜市磯子区)、南端は岩堂山(82m:三浦市)で。最高標高は大楠山(関東100名山:241m:横須賀市)である。武山・砲台山・三浦富士はこの三浦丘陵南部の横須賀市にある山である。京急長沢から三浦富士・砲台山・武山のハイキングコースを歩き、津久井浜から電車で三崎口に行き、バスで三崎港に降りて海南神社などを散策してみた。

京急長沢駅前にある三浦富士・武山ハイキングコース案内板

京急長沢駅前に地元の北下浦観光協会(横須賀市)が作成した三浦富士・武山ハイキングコースの案内板がある。今日はこの案内板にしたがって歩いてみようと思う。最初の道標は「通りに出て直進」とある。その道標通りに進み、グリーンハイツ団地に沿って歩く。右手に津久井小学校が出てくるので、その先を右折して畑の中の農道を歩く。鳥居をくぐり坂道を上り、しばらく歩くと犬の鳴き声が聞こえてきた。横須賀警察犬訓練所だ。ここを右折するとようやく山道に入って行く。10数分ほど階段状の山道を登ると三浦富士山頂であった。

三浦富士山頂

三浦富士(標高183m)の由来は山容が富士山に似ているからとのことだ。だが武山や麓からはとても富士山に似ているとは思えない。しかし三崎港から三浦海岸行のバスに乗り、この山を遠望した時に幾分富士山に似ているかなと思えた。三浦富士の山頂には浅間神社があり「浅間神社奥宮」と刻まれた石碑が建っている。この本宮が津久井浜駅のそばにある浅間神社(三浦富士の浅間様)なのである。

浅間神社の由来
御祭神 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)縁結び・安産・子育ての守護神
社伝によると聖武天皇の天平年中(729~748)に僧行基(奈良大仏建立勧進の高僧)が当郷に来り、駿河国の浅間神社を勧請し祀ったとある。そこは津久井と長沢の奥にあって高くそびえる浅間山の山頂である。
この山は海上からよい目標となり漁場の位置や東京湾に出入りする船のよい目印とすると共に信仰の対象になっている。後に富士山と呼ばれ人々から崇められるようになってきた。
当社の奥宮は今も山頂に鎮座している。毎年7月8日山頂にて「お焚き上げ」の神事が盛大に行われ、家内安全・大漁・海上安全・五穀豊穣・病気平癒・交通安全等を祈願する人で賑わう。当社殿は当初「富士入」にあったが、昭和3年11月現在地に移転鎮座され、毎年7月7日例祭が行われている。夏祭り(八雲祭)は昭和40年代以前は7月7・8日に行われていたが、現在は8月下旬の土・日曜に行われている。当社の境内社として金比羅神社と稲荷神社が祀られている。明治41年12月神奈川県令で神社が合祀され、御祭神は相殿に祀られた。

三浦富士山頂から三浦海岸を見る

三浦富士からの眺望はあまり良くない。周囲の樹木が大きくなり視界が遮られる。僅かに木の間越しに三浦海岸の砂浜が弧を描いているのが見える。上方に見える二つの突起は三浦丘陵の最南端である岩堂山(82m)のようだ。


砲台山の遺跡・旧海軍の探照灯座

砲台山に向かう途中に茶色のタイルが敷き詰められた見晴台があった。ここから少し行くと砲台山と武山の分岐である。砲台山方向に行くと高さ5mほどの柱か橋げたのような建造物が2基あった。これが何なのか見当がつかなかったが、後から調べたら旧海軍の探照灯座であった。この柱の上部には敵機を照らすための探照灯が据えられていたのだという。夜間はこの探照灯と高角砲で敵機の飛来に備えたのだろう。

砲台山の遺跡・旧海軍の砲台跡(高角砲台)

更に進むと道は回り込むようにして砲台跡に到着した。砲台山(大塚山)は三浦富士から武山に続くハイキングコース上にあり、昭和初期に海軍が砲台を造ったことからそう呼ばれるようになった。現在、砲台山山頂には金網で囲まれた海上保安庁の武山受信所がありパラボラアンテナが建っている。その脇にすり鉢状の砲台跡が原形を留めて良い状態で残されている。砲台跡の中央には当初8cm高角砲が3門設置されていたが、昭和20年に12.7cm連装高角砲2基4門に変更されたという。砲台跡は鍵穴のような形状で四角い部分(写真右端)には中に降りる階段が設置されている。すり鉢状の側面に開けられた8個の四角い穴は弾薬格納庫である。別に1か所奥行きのある窪みがあるが、ここは砲員の待機場所であった。現在この部分はコンクリートが薄かったためか崩落している。砲台跡を見てから元の分岐に戻り武山に向かう。

砲台山の遺跡・旧海軍の砲台跡(高角砲台)


武山直下に群生するスミレ

今日は天気が良く風もほとんどない。日当たりの良い武山山頂直下にはスミレが群生して咲いている。

武山山頂から砲台山・三浦富士方面

武山の名は日本武尊が東征の折に登ったことに由来するという。山頂には三階建ての展望台があり、晴れた日には三浦半島の海岸線や伊豆の山々・富士山・東京湾を隔てた房総の山々、更に遠くには伊豆大島の噴煙も見えるそうだ。今日は天気がいいのだがあいにくの春霞で眺望は今一であった。展望台の下はアゼリアハウス(つづじの家)という休憩舎になっており、ベンチテーブルやパイプ椅子も二つほど置いてある。 アゼリアハウスの脇には綺麗な水洗トイレも設置されている。
武山山頂一帯はツツジの名所となっておりオオムラサキ、博多白、妙義山など約1,200本のツツジが山頂の展望台を中心に咲き誇る。 開花に合わせて開催される武山ツツジ祭りには多くの人で賑わうという。今日はまだツツジの開花時期ではなかったが、それでも1-2株、早咲きのツツジが赤い花を付けていた。
また山頂西側には三浦半島霊場の一番札所、龍塚山持経寺「武山不動院」があり、展望台から本堂の屋根が見えた。 毎年1月28日の初不動の日には本尊の不動明王が御開帳され多くの人が訪れるという。

武山から津久井浜へ下る長い階段を振り返る

武山からの下りでは途中から古びた階段が出てくる。長い階段で一気に高度を下げる。


武山から津久井浜への下山路

津久井浜観光農園の案内所

津久井浜観光農園の案内所には野菜類などはなくイチゴが売られていた。また親子連れなどが車で到着してイチゴ狩りの申し込みをしていた。案内所を過ぎて少し行きコース案内板に従って左折する。次の角を右折しビニールハウスや畑などの間を通って進む。その後コース案内板では川沿いを歩くようになる。次の道路に出るとまた案内板がありその都度川沿いを歩く。津久井浜駅が近くなった道路では案内板が無かった。ここを右折して突き当りを左折する。京急線のガードをくぐると津久井浜駅はすぐそこにあった。津久井浜駅から電車で終点の三崎口駅で降りる。三崎口からはバスに乗り三崎港に行く。平日にもかかわらず三崎港行のバスはかなり混んでいた。

三崎港バス停前にある海南神社の石柱

三崎港のバス停に降り立ち、地図を見ながら路地を歩いてみる。路地裏のマグロ食堂では並んでいる人も多い。我々は「うらりマルシェ」あたりのマグロ食堂が開いていたので入ってみる。一番標準的な「おすすめメニュー」を頼んでみる。こういう忙しいところではある程度ネタを準備しているのだろう。注文してから出てくるまでが早い。それなのでネタは新鮮だがこれといった驚きもない。食堂を出てから「うらりマルシェ」の1階・さかな館へ寄ってみる。まぐろや干物など多くの店が集まっており買い物客で賑わっていた。いったん、ここを出てから海南神社を見ることにした。バス停のある三崎公園に戻り「食の神様・海南神社」の石柱が指す方向に歩く。

バス停から海南神社のアプローチ

写真の矢印の方向に行けば海南神社の参道なのだが、なんと反対方向に行き路地裏に迷い込んでしまった。地図の目印を頼りに元に戻り海南神社へと進む。

海南神社の参道

バス停のある三崎公園直前の路地を左方向へ行くと、石畳の参道が海南神社に伸びている。

海南神社の鳥居

参道を数分歩くと海南神社である。

海南神社の鳥居と本殿

海南神社境内には見どころが多くあるがイチョウの御神木雌雄二株もその一つである。この他に境内社の疱瘡神社・御霊神社や神楽殿・御手洗池・包丁塚などがある。更に相州海南高家神社・稲荷社・伊勢皇大神宮・筌龍(せんりゅう)弁財天・金刀比羅宮・福徳稲荷神社などもある。このように海南神社には多くの境内社があることから、社務所には七つの御朱印が用意されているとか。

海南神社の龍神様。イチョウの木が龍の化身に見える

鳥居をくぐり境内に入ると右手にイチョウの大木が雌雄二株出てくる。これらのイチョウ(樹齢800年)は頼朝公手植えと伝えられる神木である。手前の龍神社の上にかかる雄株のイチョウは龍神様といわれ龍のような形をしている。奥の方の乳根(気根)のある雌株のイチョウは乳の足りない女性が祈りをこめて触れると乳が出るようになると言われている。

海南神社の御神木(イチョウ)

御神木 頼朝公手植えの雌雄の大銀杏 この大公孫樹は鎌倉時代(1,185)に源頼朝公 当社に敬神の念篤く 祈願成就の記念として寄進せしと伝えられる(樹齢800年) 市指定天然記念物

イチョウ(銀杏、公孫樹、鴨脚樹) 中国原産の裸子植物で世界古来の樹木の一つである。 樹高20~30mの落葉高木。葉は扇形で雌雄異株である。果実や種子は銀杏(ギンナン)と呼ばれるが雌株にだけ出来る。街路樹などで銀杏が出来ないのは雄株だからだ。 樹木としては長寿で、日本各地に幹周が10mを超えるような巨木が点在している。 根の張り具合によっては枝から円錐形の突起(気根、乳と呼ばれる)が垂れ下がる。これは乳イチョウと呼ばれ、安産・子育ての信仰対象(鬼子母神など)とされる。

三浦総鎮守 海南神社本殿

三浦一族歴史めぐり⑳ 海南神社
当社の祭神、藤原資盈(すけみつ)公は、藤原鎌足の後裔(こうえい)、九州太宰少弐広嗣(だざいしょうにんひろつぐ)の孫に当りますが、56代清和天皇の皇位継承の争いに関係した伴大納言善男んの謀挙に加担しなかったため、義男と不和になり、故あって九州博多を出航、貞観(じょうがん)6年(864年)11月1日、当地に着岸されました。その後資盈公は土地の者に推載され、付近の海賊を平定したり、里人を教化して文化の基いを築きました。よって、里人の尊崇の念篤く、治績(ちせき)わずか2年ではあったが公の没するやそのなきがらを海に沈め、祠(ほこら)を花暮に建立してこれを祀りました。後、天元5年(982年)に現地に社殿を造営し、三浦一群の総鎮守として崇められ明治6年6月、郷社に指定されました。
ー記ー
三浦大介義明が源頼朝挙兵のとき、源平の争覇を当社に占った際、白と赤の狐が闘って白い狐が勝ったので、源氏方に荷担したと伝えられます。境内には頼朝公手植えと伝えられる大銀杏(おおいちょう:樹齢約800年)があります。また御手洗池(みたらいけ)に架かる神葉橋の擬宝珠(ぎぼしゅ)は、三崎御船奉行向井左近将監忠勝が寛永17年(1640年)に奉納されたものであります。
また毎年正月15日に当社に奉納する歌舞「ちゃっきらこ」は、資盈公の妃、盈渡姫(みつわたりひめ)が土地の娘に教えたとの口碑があり、また歌舞島に遊んだ源頼朝公の旅の慰めにと、里女の歌に合わせて、童女達が即興的に小竹を叩いて踊ったとも伝えられており、昭和40年5月、神奈川県の無形文化財に指定されました。平成六年一月 三浦市


海南神社の龍の彫刻

拝殿の上には赤の塗物に囲まれた緑の龍が彫られていて、口を半開きにしてこちらの方をじっと見ている。

海南神社の神楽殿に掛かる絵(日本武尊:ヤマトタケルノミコト)

神楽殿には神話に出てくるような神様の絵が四方にぐるりと掛けられている。全部で10枚ほどあるようだ。日本武尊の絵が一番撮影し易かったので掲載する。

三崎港のオオセグロカモメ(大背黒鴎)

海南神社を参拝して「うらりマルシェ」で買い物をしてバス停に戻る途中、岩壁の下にオオセグロカモメがいた。大柄で胸や頭が真っ白で綺麗な鳥だ。何かカニのようなものをつついて食べていた。オオセグロカモメは全長61cm、翼を広げると156cmにもなる大形種のカモメである。背・翼の上面は黒色で下面は白色。くちばしは橙黄色で大きく、下くちばしの先の方に赤斑がある。足は淡い赤色。

バスからの車窓風景 城ヶ島大橋

三崎港から三浦海岸行の路線バスは本数が少なく1時間に1本くらいしか出ない。そのためバスが来るまで30分ほど待ってしまった。バスが出発すると直ぐに右手に城ヶ島大橋が見えてくる。

三浦半島先端から海をまたぎ城ヶ島に至る橋が城ヶ島大橋である。1957年に着工され1960年4月に開通した。全長575m、海面からの高さ16~23.5m。城ヶ島へ渡る唯一の道路で有料道路(普通自動車で往復\150)でもある。神奈川県が2018年11月13日に将来の無料化を発表した。歩行者や自転車は無料で通行できる。城ヶ島大橋は周囲の土地より高いので太平洋・相模湾・東京湾(浦賀水道)を介して、東に房総半島・南に伊豆大島・西側には伊豆東岸から湘南地域・富士山・丹沢山地が一望できるという。また真冬の早朝には遠く南アルプスも望めるほか、日の出前に丹沢の白い山々の頂きだけが朝日で輝くといった幻想的な景色が見られるという。

バスからの車窓風景 キャベツ畑

三浦市は三方を海に囲まれているため、「冬温かく、夏涼しい」という気候です。
その温暖な気候を生かした露地野菜中心の農業が盛んで、三浦市の農業は神奈川を代表する野菜の産地として全国的にも有名です。冬はダイコン、キャベツ、夏はスイカ、カボチャ、メロンなどを生産しています。三浦半島でのダイコンの歴史は古く、寛永年間から栽培されていたことが相模風土記に記録されています。冬春ダイコンと早春・春キャベツが国の指定産地に、スイカが県の指定産地になっています。
最近では、面積はそれほど多くありませんが、トウガン、ニガウリ、夏ネギ、トマトなども栽培しています。また、みかん狩り、イチゴ狩りなども行っています。(三浦市農協HPより)

バスは宮川湾・毘沙門湾・江奈湾の漁港を通過すると、次が剱崎(つるぎさき)バス停だ。剱崎灯台はバス停から2kmほど離れていて後方に小さく見えた。バスはここから湾岸を離れて内陸部に入る。この辺は農家が点在しているが、ほとんどが畑でキャベツ畑が多いようだ。

バスからの車窓風景 三浦海岸のカナリーヤシ(フェニックス)

バスは金田湾(東京湾内)に出ると湾岸沿いを北に進むようになる。前方は三浦海岸方面だが、その向こうに丘陵地帯が見えた。あれは武山や三浦富士ではないかなと思っていたら、やはりそうだった。歩いた山を下山後に見ると「あの稜線を歩いたんだ」という達成感に似た思いがするものだ。これは山の高低に関わらず感じることだ。三浦海岸には南国を思わせるヤシの木が多く植えられており旅情をそそる風景があった。

京急長沢~武山~津久井浜~三崎口~三崎港~三浦海岸の経路図

コースタイム 歩行2時間30分 距離7km 累積の登り下り±330m
横浜駅(京急線)8:37~9:25京急長沢駅9:35→10:22三浦富士10:30→10:55砲台山→11:20武山11:50→12:50津久井浜駅(京急線)~13:33三崎口駅(バス)~三崎港(周辺散策:七兵衛丸・うらりマルシェ・海南神社)(バス)15:29~剱崎~三浦海岸駅~横浜駅


バナースペース

気ままに山歩き

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