2019年(R1)11月30日(土)2名

玄倉~丹沢湖畔~中川橋~永歳橋~三保ダム~丹沢湖バス停のGPS軌跡

玄倉~丹沢湖畔~中川橋~永歳橋~丹沢湖バス停~~三保ダム~丹沢湖バス停のGPS軌跡

小田急線新松田駅北口バス乗場から西丹沢ビジターセンター行のバスに乗る。今日は快晴の土曜日で紅葉を見る人で混むだろうと予想した。しかし意外にもバスは空席を幾つか残したまま出発した。市街地を抜けた酒匂川沿いから真っ白い雪を頂いた富士山が見える。白い粉雪を振りまいたような富士の裾野がいかにもこの季節らしい。バスは高松山入口で登山客の三分の一が降りた。山北駅や谷峨駅では乗客がいなかった。玄倉でも登山客の三分の一は降りた。降りた人達は丹沢湖ロッジのほうへ行ってしまった。玄倉林道が閉鎖されているためユーシンブルーは見ることができない。それなので玄倉川橋方向へ行くのは我々だけである。丹沢湖には玄倉川、中川、世附川が流れ込み、三保ダムを経て河内川と名前を変える。河内川は途中JR谷峨駅付近で鮎沢川と合流して酒匂川となり相模湾に注ぐ。今日は丹沢湖に流れ込む三つの支流に架かる橋を渡り三保ダムを下から眺めてみようと思い歩いてみた。 丹沢湖は西丹沢の酒匂川水系の河内川に造られた三保ダムの建設により出来た人造湖である。ダムの工事は1970年(昭和45年)から始まり8年の歳月と823億円の事業費をかけて1978年(昭和53年)に完成した。そして丹沢水系の豊かな水を集めた神奈川県民の水がめとして重要な機能を果たしている。丹沢湖には玄倉川(くろくらがわ)、中川(なかがわ)、世附川(よづくがわ)の3つの支流からの水が流れ込んでいる。そして丹沢湖には玄倉川に架かる玄倉川橋、中川に架かる中川橋・大仏大橋、世附川に架かる世附大橋・永歳橋など大小57の橋が架かっている。丹沢湖周辺は丹沢大山国定公園に指定されており人造湖であるが周囲の自然とよく調和している。そのため「かながわの景勝50選」や「ダム湖百選」に選ばれている。

玄倉からの丹沢湖と太郎小屋山(843m)

玄倉からの丹沢湖と太郎小屋山(843m)

玄倉バス停前のこの風景、1年間にも歩いたが、2年前は11月26日(日)に歩いたのだった。ちょうど丹沢湖ハーフマラソンの開催日だった。その時はここから見た紅葉がひときわ鮮やかだった。今年は気温の高い日が多かったし、先週は雨降りの連続だった。だからなのか、それとも1週間ほど遅かったのか紅葉に鮮やかさがない。

玄倉バス停から玄倉川橋を渡り対岸の玄倉中川林道へ向かう

玄倉バス停から玄倉川橋を渡り対岸の玄倉中川林道へ向かう

玄倉バス停から数分歩くと前方に青い玄倉川橋が見えてくる。この橋を渡って行くと橋の中ほどで数名の人たちがいた。それぞれが大きな望遠カメラを三脚にセットして座っている。その内の70代くらいの男性に聞いてみた。「何を写しているんですか?」「何にもしていないよ」と返事がある。「どんな鳥がいるんですか?」「タカ!」と返事がある。「タカにもいろいろ種類が多いですよね。何というタカですか?」「クマタカ!」と返事がある。「この辺にいつも飛んでくるんですか?」「いや、わからない。それがわかれば苦労しないよ!」と返事がある。そこで「そうですか。ありがとうございました」と言って先に進んだ。丹沢湖北岸道路(玄倉中川林道)は東の玄倉川橋と西の大仏大橋の間にある。玄倉中川林道は更に北の中川橋まで続く。玄倉川橋と千代ノ沢橋、大仏大橋の起点にゲートがあり降雨・降雪等により施錠され車両の通行ができなくなる。 丹沢湖北岸道路(玄倉中川林道)の北側は一般登山道はなくバリエーションルートの山々がある。大ノ山(丹沢湖南部の大野山ではない)、戸沢ノ頭、遠見山、大杉山(861m)などである。大杉山を中心にした山稜を南北に貫くルートは、地図読みが難しくヤセ尾根など危険箇所がいくつもある。道迷い遭難、行方不明、滑落死亡事故などが起きている。遠くから見る戸沢ノ頭、大杉山は一見穏やかな山稜に見える。しかし実際には大ノ山~戸沢ノ頭~大杉山はハードなルート、大杉山~橅ノ平~石棚山は峻険な登降が続く難路とされ、要求される体力度も高いようである。丹沢湖北岸道路沿いにこれらの山に登るいくつかの取付きがある。その一つが今日沢(こんにちざわ)橋の取付きである。

丹沢湖の玄倉川橋と大仏大橋の中間地点にある駐車場

丹沢湖の玄倉川橋と大仏大橋の中間地点にある駐車場

今日沢橋の急な取付きを「こんな所を登るのか」と眺め、そこから10分ほど歩くと丹沢湖北岸駐車場が見えてくる。この駐車場にかって山友達のTさんが車を停めて行方不明(2021年2月25日に小割沢左俣にて沢登の登山者により発見されました。)になった。2017年11月19日(日)のことである。当日の夜、帰ってこないTさんを心配した家族が警察に捜索を依頼した。車は翌日の11月20日にこの駐車場で発見された。3ナンバーで黒っぽいスバルのステーションワゴンである。それから警察とTさん所属山岳会による捜索が始まる。駐車場の北側の大ノ山や戸沢ノ頭周辺の沢をメインにザイルを使った捜索が行われた。しかし手掛かりは全くつかめず警察の捜索は三日間で終了した。その後もTさん所属山岳会による捜索は範囲を拡大して、何度も、そして翌年も行われた。だが遺留品はおろか目撃情報も全く出ない。車があったという事実だけは厳然としている。だが登山届が出ていないので的が絞れないのだ。まさに雲をつかむように手掛かりが全くない状況が今日まで続いている。 当時私は病気治療中で副作用の貧血がありとても山へ登れるような状況でなかった。そこで登山者の目撃情報をインターネットから収集しようと思った。当日は紅葉の時期で晴天の日曜日とあって丹沢湖周辺には多くの登山者が来たようだ。中でも玄倉にはユーシンブルーを見る多くの登山者が訪れた。玄倉駐車場が一杯になり停められない人は路肩駐車をしたようだ。インターネットで検索したところ、ユーシン方面を歩いた記録はヤマレコなどで8件あった。そのほとんどにメールで連絡を取って(Tさんらしき特徴の男性を見かけなかったか)を確認したがそれらしい目撃情報は得られなかった。その他の玄倉周辺では登山記録はなかったが、ただ一つ大杉山を歩いた記録があった。それは箒沢公園橋から橅ノ平~大杉山~中川温泉へと辿るルートである。この時の記録では大杉山に12時48分に到着し1時間強休憩している。Tさんは自宅を朝6時に出発している。丹沢湖北岸駐車場に到着したのが8~9時頃だとすると、大杉山までは3時間前後かかるとみられるので11~12時頃になる。もしTさんが丹沢湖北岸駐車場から大杉山方面へ向かったなら遭遇している可能性が高い。だが、メールで記録の本人に問い合わせたところ「誰とも会わなかった」という返事だった。そのためTさんは大杉山から北の石棚山方面には向かっていないとほぼ断定できる。 果たしてTさんはどこへ向かったのだろう。推測するにユーシンには向かっていないと思う。それは玄倉駐車場が一杯でも路肩に停めることは可能だったからだ。なにせ丹沢湖北岸駐車場から玄倉川橋までは往復1時間以上かかる。だからそんな余計な時間を費やしてまでユーシンに向かうことはあり得ない。ただ玄倉駐車場が一杯なので当初の予定を変更したことはあり得る。その頃のTさんはバリエーションルートに関心があったようだ。行方不明になる1か月ほど前の2017年10月24日に富士山の青木ヶ原樹海の先にある大室山(1,468m)に単独で登ったりしている。同じクラブの会員の話では、Tさんが「バリエーションルートに目覚めた」と話していたそうである。だからユーシンに行く予定でいたが玄倉駐車場が一杯なので未知のバリエーションルートである大杉山方面へ変更した可能性はある。または最初からバリエーションルートを登るつもりで、丹沢湖北岸駐車場に車を停めたのかもしれない。 玄倉川橋と大仏大橋間の丹沢湖北岸道路(玄倉中川林道)には駐車場が3か所ある。 ・今日沢橋の直ぐ西側に数台が駐車できる。 ・丹沢湖北岸道路の中央付近(Tさんが駐車した場所)に十台程度駐車できる。 ・大仏大橋の東側(千代ノ沢展望台下)に数十台が駐車できる。 Tさんが駐車した場所から推測すると「大仏大橋の西側の世附権現山や中川橋方面」には向かった可能性は低い。また今日沢橋から東の「今日沢橋の大ノ山取付きやユーシンや玄倉ノ野(856m)」にも向かった可能性も低い。また大杉山では他の登山者が12時48分から1時間強休憩している。そこで最終的に考えられるのは次の3か所のバリエーションルートである可能性が高い。 ・丹沢湖北岸駐車場の直ぐ東側から戸沢ノ頭に向かうルートで大杉山まで。 ・駐車場から約400m東の取付きから大ノ山へ向かうルートで大杉山まで。 ・駐車場から約300m西側のヘイロク沢右岸から戸沢ノ頭に向かうルートで大杉山まで。 駐車場から周回ルートにしろピストンにしろ、遠見山を経て大杉山を登ってから戻る予定ではなかったのではないだろうか?仮に道迷いしても経験豊富なTさんなら沢に下るような判断はしないと思う。それとも沢に迷い込んで滑落してしまったのか?尾根に登ればそんなに深い山ではないので踏み跡は見つかるはずなのだ。だから例えビバークしても戻ってこれるはずなのだ。考えたくないが失踪や自死の可能性もゼロではない。しかし責任感の強かったTさんがそんなことをするわけがない。それが今だに行方不明なのはいくら考えても「何故だろう?」と堂々巡りになる。

丹沢湖北岸の位置概略図(オレンジ色はヤマレコ「みんなの足あと」によるGPSログ)

丹沢湖北岸の位置概略図(オレンジ色はヤマレコ「みんなの足あと」によるGPSログ)

捜索が困難なのは当日の朝、Tさんは家族に「丹沢に行ってくる」とだけ言って出かけたからなのである。だから車は見つかったのである。だが登山届の提出は玄倉登山口にも所轄警察署にも、所属山岳会にも出していなかった。またTさんは所属山岳会のほかに山歩きクラブの会長もやっていた。そのクラブの誰にも話していなかった。そして家にも計画書はなく家族にも具体的なコースを知らせていない。後日家族が業者に依頼してパソコンや検索履歴などを調べてみたが手掛かりは出なかったようである。そんなこんながあり昨年は山歩きクラブの皆さんと一緒にここを訪れた。そしてあれから2年経ったこの地を再び今日訪れてみたのだ。先日の台風19号の影響からか流れ落ちてきた土砂が一か所に集められていた。多分もっと多くの土砂があったに違いないがその残りなのだろう。その近くの木にTさん所属山岳会が付けた「探しています」と題したポスターが2枚付けられている。風雨や日差しに晒され写真はかなり色あせてやっと判別できるほどだ。まだ生死は判明していないが、Tさんが好きだった酒を大地に注いでから一口飲んだ。岸辺のセンダンの木に緑色の実が鈴なりについている。今日は風はなく穏やかで日差しが降り注ぎ、湖面がキラキラ輝いている。行方不明になる3か月前に地元で飲みながら色々と話をした。その時は腰の手術のことやクラブ運営の難しさなどを2時間にわたって話しあったのだった。「Tさん、あなたは一体どこへいってしまったのだ!」と思いをはせる。

千代ノ沢展望台は路肩崩落で通行止のため、湖岸から見た富士山

千代ノ沢展望台は路肩崩落で通行止のため、湖岸から見た富士山

丹沢湖北岸道路駐車場から20分ほど歩くとアーチ構造の大仏大橋が近づいてくる。その手前に駐車場(トイレ有)があり、その東側に千代ノ沢展望台の登り口がある。しかし、そこには「路肩崩落により通行止」と書かれており閉鎖されていた。今日は富士山を見るには絶好の日よりなのに残念!やむなく道路側から富士山を撮影する。 千代ノ沢展望台は通常ならば登り口から少し急な石の階段を登って行く。途中で踊り場状になるが更に登って行く。平らな広場が出てくるので右手に行くのが第一展望台であり、左手を更に登るのが第二展望台である。第一展望台までゆっくり登って10分ほどで標高差は50mほどである。千代ノ沢第一展望台は山の斜面に造られた細長い展望台である。展望台からは「関東の富士見百景」と言われる富士山が見え、眼下には大仏大橋が湖面に姿を映し、橋の右手上部に見えるのが世附権現山である。

中川橋より箒沢権現山(前権現:1138m)方面

中川橋より箒沢権現山(前権現:1138m)方面

千代ノ沢展望台下から大仏大橋を左に見て進む。橋の中ほどで数人の釣り人がワカサギを釣っているようだ。川べりの風景や紅葉を見ながら30分ほど歩くとアーチの上に橋がある(上路アーチという)中川橋が見えてくる。ここからの景色は素晴らしい。青緑の水を湛えた中川の流れ、両側の山は紅葉が彩り、前方には箒沢権現山が聳えている。

渡ってきた中川橋を見て焼津ボート乗場に向かう

渡ってきた中川橋を見て焼津ボート乗場に向かう

焼津ボート乗場手前の紅葉と大野山(723m)

焼津ボート乗場手前の紅葉と大野山(723m)

中川橋を渡ると県道76号線に出る。歩道があるので安心して歩ける。神奈川県道76号は名称を山北藤野線という。山北町と相模原市緑区藤野町を結ぶ道路なのだ。しかし実際には未開通道路で西丹沢ビジターセンターの先の犬越路林道も車両通行止となっている。 中川橋から県道を300mほど歩くと県道を離れて左へ入る道がある。この道は焼津ボート乗場へ行く道である。川沿いを歩くようになり景色もよくなる。イチョウの黄葉や紅葉の先に大野山が見えている。

白鳥

コブハクチョウ(ガンカモ科)

この白鳥はコブハクチョウかもしれない。またはオオハクチョウ、コハクチョウの可能性もある。100mほど先をズームで撮影したので正確には分からない。コブハクチョウは全長150㎝ほどで額のあたりにある黒いこぶ状の突起と橙赤色のくちばしに特徴がある。

焼津ボート乗場前の紅葉

焼津ボート乗場前の紅葉

焼津ボート乗場

焼津ボート乗場

焼津ボート乗場は丹沢湖唯一のボート乗場で一般の観光客と釣り人及びカヌーを行う人のために作られた。レンタルボートは公益財団法人山北町環境整備公社が丹沢湖の湖面利用について神奈川県企業庁の許可を受け営業している。丹沢湖においては指定された種類のカヌーと山北町環境整備公社での貸しボート以外は利用が出来ない。また夏場の湖面水位低下時(例年8月~10月上旬)にはボート乗場が永歳橋(丹沢湖記念館側)の下に移動される。 焼津ボート乗場を過ぎたあたりで少し休憩し行動食をとる。

水面を蹴立てて走る水鳥の水上ダッシュ

水面を蹴立てて走る水鳥の水上ダッシュ

この写真は腕ではなくまぐれで撮れた。水鳥は100mほど先にいるので、ズームで撮ろうとするがなかなか水鳥に合わせられない。飛び立とうとしているので慌ててシャッターを2回押す。その内の1枚がこれで、タイミングよく撮れた。この鳥はカモではなくカイツブリかも知れない。カイツブリにはこのように水面を駆ける水上ダッシュの習性があるようなのだ。これは遊んでいるのではなく一種のお見合いであるようだ。いわばメスによるオスの資格テストなのだ。ペアがお見合いのような形から、メスが突然水面を猛然と走り出す。このときオスも瞬時に走り出さなくてはならない。ここで遅れるとオスは失格となる。きっとオスの瞬発力が試されているのだ。そして次に持続力も試される。この水上ダッシュではオスがメスの後にダッシュを終えなくてはならない。メスよりも強い体力があることが試されるのだ。オスがメスよりも早くダッシュが終わってしまうとお見合い不成立となる。 さて、このお見合いは成立したのだろうか?勝手な想像だが不成立だと推定した。なぜなら写真で上の鳥がメスだとするとまだ余力がありそうに見える。オスのほうは失速寸前に見える。このあと、このペアは川の中流へ泳ぎだした。オスがメスから距離を置いてうなだれているように見える。お見合い成立なら並んで泳いでいるに違いない。

水上ダッシュのあと中菱へ泳ぎだした

水上ダッシュのあと中菱へ泳ぎだした

湖岸の紅葉とボート(右下)

湖岸の紅葉とボート(右下)

川沿いの山々は紅葉していて、穏やかな川面に貸しボートに乗る人が小さく見える。

クマタカ(熊鷹)

クマタカ(熊鷹)

焼津ボート乗場を過ぎて歩いていると、連れが「鳥!鳥!」と叫ぶ。「どこ?」「そこ!そこ!」。と、近くの木に止まっているのが見えた。鳴き声は体の大きさの割には可愛いい。「ピョッ ピョッ」と聞こえた。大きさはカラスより一回り大きい感じ。先ほどの玄倉川橋でオジサンたちが待機していたクマタカはこの鳥だったのか。全体の姿は枝に隠れて見えない。数十秒して飛び立ってしまったがその瞬間は撮影できなかった。 クマタカ(熊鷹、角鷹)は日本に分布するタカ科では大型である。胴も翼も太く、がっしりした感じ。体はトビよりも大きいが翼は短い。ヤマドリなどの中~大型の鳥などを捕らえる。全長は72~80cm。翼を広げた大きさは140~160cm。九州以北の山地の林にすむが数は少ない。ここ丹沢湖周辺でも生息しているようだ。繁殖期以外はほとんど鳴かないが繁殖期では「ピッピッピッ、ピェー」「ピェ ピェ ピェ」というふうに聞こえる。

焼津ポート乗場の奥に中川橋が見える。中央の山は箒沢権現山(前権現)

焼津ポート乗場の奥に中川橋が見える。中央の山は箒沢権現山(前権現)

焼大隧道を過ぎ大仏大橋が近づいてきた

焼大隧道を過ぎ大仏大橋が近づいてきた

永歳橋と大野山

永歳橋と大野山

中川橋から焼津ボート乗場を経て10分ほどの休憩を含めて50分ほどで永歳橋に到着した。全長235mの永歳橋(えいさいばし)は丹沢湖のシンボル的存在として1977年に竣工した。1991年(平成3年)にかながわの橋100選に選ばれている。三保ダムの建設に伴い、それまで県道が経由していた三保地区は、丹沢湖の湖底に沈むことになった。県道は付け替えられることになり建設されたのが永歳橋である。橋の名称は湖底に沈んだ旧県道に架けられていた名称を引き継いでいる。 長い永歳橋を渡ると右手に手打ちそばの落合館、左手に丹沢湖記念館と三保の家が出てくる。更に200mほど歩くと左側に丹沢湖バス停が右手に丹沢湖レストハウスとその先に交番がある。12時も近いので丹沢湖レストハウスで少し早い食事をしようか、と行ってみたらドアに「本日都合により休業します」の札が掛けられていた。私は丹沢ラーメン、連れはダムカレーと楽しみにしていたのに千代ノ沢展望台に続き今日2回目の残念!

三保ダム天端道路と太郎小屋山

三保ダム天端道路と太郎小屋山

気を取り直して交番から50mほど先にある三保ダム入口から天端道路を歩く。天端道路の長さは550mほど、前方には太郎小屋山(843m)が大きく聳えている。右には丹沢湖の風景が、左には大野山や下のほうにはダム広場が見える。天端道路の終点付近に広場があってここからの風景もなかなか良い。道路終点の広場から先は閉鎖されていた。従ってここから太郎小屋山に登ることはできない。このダムの右手(西)の世附大橋側から山頂へのバリエーションルートがあるようだ。

天端道路から見た三保ダム

天端道路から見た三保ダム

天端道路からダム広場を見下ろす

天端道路からダム広場を見下ろす

天端道路を戻りダム広場への広いスロープを降りていく。緩やかな道だが長い。ヘアピンカーブからヘアピンカーブまで200mほどだろうかそれが5~6回続く。

ダム広場の紅葉

ダム広場の紅葉

ダム広場遊歩道から三保ダムを見る

ダム広場遊歩道から三保ダムを見る

ダム広場の方へ行かずダムの下に向かう。道がありダムの下の方に行ける。

下流側の橋から三保ダムを見る

下流側の橋から三保ダムを見る

ダムの下流側に橋がありそこからダムを撮影する。神奈川県内のダムのなかでも三保ダムはゲート放流が少ないようだ。ダムの下流側に松ケ山橋が架かっており、チャンスに恵まれれば真正面からゲート放流を見ることができる。ただし、橋を渡ることができるのはダム広場が開いている日中に限られる。また放流するのは台風や大雨など非常事態の時に限られるようだ。三保ダム放流の様子 三保ダムは1969年(昭和44年)より神奈川県企業庁によって補助多目的ダム事業として計画された。当時神奈川県は人口増加によって水需要が急激に増加しており新たな水源確保が急務となっていた。三保ダムは当初「酒匂ダム」という名称で計画されていた。酒匂川水系最大の支流である河内川の中流部に当時取水ダムがあった場所に計画された。型式は中央土質遮水壁型ロックフィルダムで高さは95.0m。特徴としては※ロックフィルダムとしては異例とも言える5門のゲート(水門)を有する洪水吐きの存在であり、これだけの大規模な洪水吐きを有するロックフィルダムは全国的に稀少である。このダムの目的は酒匂川沿岸の洪水調節、神奈川県全域への上水道供給、7,400キロワットの水力発電である。ダム建設によって223世帯の住居が水没する事となったが、完成前水没住民より水没する地名を残して欲しいという要望があり、事業者である神奈川県もこの要望を受けてダム名を「酒匂ダム」から湖底に沈む旧・三保村に因み「三保ダム」へと変更した。ダムは1978年(昭和53年)に完成し、以後神奈川県の水がめとして重要な役割を担っている。 三保ダムの概要:丹沢湖の水面の標高320m、天端道路の標高325m、天端道路からダム広場までの標高差76m・歩行15分、三保ダムの高さ(堤高:基礎地盤からダムの一番上までの高さ)95.0m、ダムの長さ(堤頂長)587.7m、有効貯水量5,450万立方メートル(東京ドームのおよそ40杯)、※ロックフィルダムはダムの型式の一つで、岩石や土砂を積み上げて建設する型式のダムである。 三保ダム建設により水没した地域は山北町のうち三保地域の神尾田39世帯、神縄2世帯、世附101世帯、焼津・大仏48世帯、玄倉33世帯の合計223世帯1026人であった。これ以外に小・中学校、保育園及び役場支所などの公共施設であった。 丹沢湖記念館に隣接する「三保の家」は江戸時代末期の民家だが、世附地区で1973年(昭和48年)頃まで使われていた。だがダム建設の計画が持ち上がり1978年(昭和53年)に今の場所に移転し復元された。ダム建設もこの年に完成した。湖底に沈んだ家は223戸に及ぶが、主な地区である(旧)三保村にちなみ三保ダムと名付けられた。この三保ダムによって出来た人造湖が丹沢湖である。現在、三保の家は移転当時から41年が経ち茅葺屋根の葺き替え工事が行われている。2018年11月末に屋根の半分を新しい茅に葺き替えし、2年で全面を葺き替える予定だという。

三保ダムの下流側を見る

三保ダムの下流側を見る

ダム広場の遊歩道

ダム広場の遊歩道

ダム広場の紅葉が鮮やかだ。少し周辺を散策する。階段があったので登ってみたら駐車場であった。車だとダム広場の駐車場に直接行けるので便利だ。

ダム広場から天端道路まで76mの標高差がある

ダム広場から天端道路まで76mの標高差がある

ダム広場から天端道路までは標高差が76mほどある。ダム広場から見るとその斜面が壁のように見える。遊歩道のイチョウの木はすっかり葉を落としていた。

スロープとは別の階段を登りダム広場を見下ろす

スロープとは別の階段を登りダム広場を見下ろす

スロープを歩くのは距離があるので脇につけられた階段を登る。かなりの段数があり休み休み登った。丹沢湖レストハウスが臨時休業だったので、丹沢湖記念館前の落合館・太平楽に行ってみる。それほど待つことなく席に着いたが丹沢湖レストハウスが休みのためか、接客のおばさん達はてんてこ舞いの忙しさだ。今日の特別メニューのキノコせいろ蕎麦(\1,300)を頼んでみた。ここの蕎麦は北海道産のそば粉と国産小麦粉を八対二で混ぜた、いわゆる二八蕎麦のようだ。10分ほど待って出てきた蕎麦は新蕎麦とみえてほんのりとした甘い味わいがある。キノコがたっぷり入った温かいつけ汁も、少し酸味があって新蕎麦に合って美味しい! 落合館を出て道路の向かいの丹沢湖記念館に入ってみる。出来てから40年ほど経つからか建物も展示品もかなり古めかしい。特に眼を引いたのは縄文時代の遺跡であった。丹沢湖記念館の館内には丹沢湖の歴史、丹沢湖周辺に生息する動物類の剝製や発掘された縄文時代中期の土器、昔の農機具や生活用品、自然やイベントなどの観光写真などが展示されている。縄文時代の遺跡出土地点は尾崎地区で現在の丹沢湖バス停やこの丹沢湖記念館付近のようだ。そこからは竪穴住居跡や敷石住居跡が出土している。縄文時代中期の遺跡で年代は4千~5千年前と推定される。縄文土器や黒曜石の矢じり、石斧、石皿とすり石、石の錘と浮きなど多数出土している。 尾崎遺跡(丹沢湖記念館案内板より):この遺跡は、西丹沢山北町で発見された縄文時代中期の集落跡で、三保ダム建設にともない昭和48年(1973年)10月と同50年(1975年)4月から5月にかけての2回にわたって事前に発掘調査を行いました。遺跡は酒匂川上流の河内川と世附川の合流地点をみわたす平坦な段丘上にあって厚い火山灰層におおわれていました。調査の結果、竪穴住居跡30軒と敷石住居跡5軒などが発見され、そこからは狩りと草や木の実などの採集生活に用いた石斧類の出土とともにここで磨製石器を製作していたと推定できる遺物(石斧の未製品、破片、砥石、ハンマーストーンなど)が発見され注目されました。

丹沢湖バス停より箒沢権現山(前権現)

丹沢湖バス停より箒沢権現山(前権現)

丹沢湖バス停より遠見山(880m)

丹沢湖バス停より遠見山(880m)

丹沢湖バス停からは遠見山が見える。中央右下の三角形状のコンクリートの壁は千代ノ沢展望台だ。三角の頂点が第二展望台で、その二段下のうっすら横に白い線(手すり)が見えるのが第一展望台なのだ。

丹沢と丹沢湖を象徴するモニュメント「林泉」

丹沢と丹沢湖を象徴するモニュメント「林泉」

丹沢湖バス停に戻り近くにあるモニュメントを見る。林泉と名付けられたモニュメントは針葉樹をイメージした大きな2本の柱が立っている。流れ出る泉を台座で表現し、その上に女性の石像彫刻が二つある。一つは座像で「水の流れを楽しむ人の心」をイメージしている。もう一つは湖を向く立像であり「緑に寄り添う人の心」をイメージしたとある。林泉 1990年「土屋健」造。ちなみにこのモニュメントの作者は土屋健さんで秦野市の彫刻家である。

玄倉~丹沢湖畔~中川橋~永歳橋~三保ダム~丹沢湖バス停のコース断面図

玄倉~丹沢湖畔~中川橋~永歳橋~三保ダム~丹沢湖バス停のコース断面図

過去の丹沢湖岸めぐり 2018(H30) 11/19 丹沢・小川谷出合~丹沢湖北岸道路  2017(H29) 11/26 丹沢・丹沢湖北岸めぐり コースタイム 歩行3時間30分 距離12.8㎞ 累積の登り下り±680m 小田急線新松田駅(バス)8:25発~9:10玄倉9:20→10:17千代ノ沢展望台下→10:44中川橋→11:03焼津ボート乗場11:13→11:34三保ダム天端道路→ダム広場散策→三保ダム天端道路→13:10落合館(昼食)→丹沢湖記念館(見学)→14:10丹沢湖バス停(バス)15:05発~新松田駅

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